5. 展覧会「Exploring Ⅲ - かかわりから生まれる芸術のかけら -」 レポート

ささやかに、属性をほどく──障害者の表現にまつわる脱神話とフェアネス

山田創 滋賀県立美術館学芸員

「Exploring III―かかわりから生まれる芸術のかけら―」展(以下、Exploring III 展)を形式的に見れば、主に障害者支援施設などに所属して制作を行う作り手による表現と、現代美術のアーティストたちの作品を包括的に提示する展覧会であるといえる。
障害者と現代美術家を等価に並べる形式の契機の一つとして、1992年にロサンゼルス・カウンティ・ミュージアムで開催された「パラレル・ヴィジョン:20世紀美術とアウトサイダー・アート」展が挙げられる。同展はマドリード、バーゼルを巡回した後、1993年には世田谷美術館でも開催された。近代美術の巨匠たちとアウトサイダー・アートを並存させることで、美術史を相対化する「並行的な視点(パラレル・ヴィジョン)」を提示したこの展示は、日本においてアール・ブリュットやアウトサイダー・アートの受容の土壌を形成した。
2004年に開館した滋賀県近江八幡市の「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA(以下、NO-MA)」も、同様の形式を追求してきた。なお、筆者は2017年から2022年まで同館で学芸員を務めていた経緯がある。同館は「障害のある人たちによる造形表現や現代アートなど、様々な表現を分け隔てなく紹介する」ことをコンセプトに掲げている(ボーダレス・アートミュージアムNO-MAウェブサイトより引用)。社会福祉法人を運営母体とする同館の試みの背景には、障害の有無を超えて人々が共に生きるインクルーシブな社会の実現という理念が伏流していると考えてもよいだろう。こうしたスタイルは、NO-MA 以降に誕生した、福祉施設を母体とするミュージアム(広島県の「鞆の津ミュージアム」や福島県の「はじまりの美術館」など)でも踏襲され、今や福祉と美術の交差領域において一定の浸透を見せる一つの「型」となっている。
Exploring III 展も、形式上は同じ系譜に連なる。しかし、実際に鑑賞した筆者が受け取った感触は、既存のそれらとはいささか異なっていた。というのも、こうした型を採る展覧会に宿りがちな「美術における制度の相対化」という批評性や、「社会福祉」的な啓発の文脈が、驚くほど前景化していないのである。
そもそも、予備知識なしに会場を訪れた鑑賞者が、出品作家の中に障害者が含まれていると自発的に気づくことすら容易ではないように感じられた。それは例えば、主催者による「ごあいさつ」の言葉選びにも滲んでいる。そこには「障害者」という直接的な言葉は一度も登場しない。作家像を表す言葉として代わりにあるのは、「言語によるコミュニケーションが難しくとも、造形的な表現を通じて自己を発露し、言葉では表しにくい事象を伝え、感覚を提示する人々」という、極めて慎重な記述である。鑑賞者は作家紹介のテキストを読み込むことで、出品作家のうち、複数名に何らかの障害があることを察するだろう。
かつて筆者が在籍したNO-MAにおいても、個別の作家に対してその障害の有無を明言することは原則的に避けてきた。しかし同館においては、「ボーダレス」という施設自体のコンセプトやその存在自体が、障害のある作り手の存在を前提としたインクルーシブなメッセージを、すでに雄弁に物語っていたといえる。
対してExploring Ⅲ展は、その前提となる属性すらも徹底して背景へと退け、障害に付随するいかなるメッセージも声高には主張していないように見える。出品作家の半数以上が障害のある作り手であるにもかかわらず、あえてその情報を希釈することで、この展覧会はどのような光景を出現させようとしたのか。

障害者の美術にまつわる神話の解体──学びの主題化

Exploring III 展が、作家の障害という要素を内包しながらも、それを後退させていることは先に述べた。この抑制されたキュレーションが提供するのは、障害者の美術や、それに隣接するアール・ブリュット、アウトサイダー・アートといった言説がしばしば再生産してきた、作家の属性にまつわる「独学」や「孤高」というイメージに対する、したたかな批評的視点ではないだろうか。
この国における「障害のある作家」への視線は、戦後から今日に至るまで、多分にロマンチシズムを孕んだものであった。古くは「放浪の天才画家」として国民的な人気を博した山下清のイメージがその象徴といえるだろう。山下は典型例の一つであるが、たとえば現在のサヴァン症候群がかつては「イディオ・サヴァン(白痴天才)」などと呼称されていたように、超常的な能力のある障害者を「特異な天才」として一般社会から切り離す土壌はかねてからあったと考えられる。こうした土壌の上に、2010年代以降、日本に急速に浸透した「アール・ブリュット」という言葉が重なり、イメージをさらに固定化させることとなったのではないかと本稿では考える。
もともと、フランス人アーティストのジャン・デュビュッフェが提唱したアール・ブリュットは、既存の美術教育や流行、市場といった「文化」の仕組みに染まっていない作り手による表現を指したが、日本ではこの言葉が、障害のある人による表現となかば不可分なものとして受容された経緯がある(紙幅の都合上、本稿ではこの議論には立ち入らない)。その結果、アール・ブリュットの特徴としてしばしば語られる「専門的な教育との距離」や「内発的な衝動」といった側面が、障害のある作家に対する「不可侵な孤高性」というレッテルを補強し、彼らを特権的な、あるいは超越的な「あちら側の存在」として神話化することに拍車をかけたともいえるのではないだろうか。
こうした背景を前提とするとき、本展がキーワードの一つに「学び」を掲げていることは興味深い。「学びのかたち」の章では、森本絵利、かつのぶ、松本国三、平田安弘の4名が紹介されているが、作家たちをつなぐのは、技法や原理の習得といった他者や環境との応答のプロセスである。そこには「孤高の天才」という劇的な虚像ではなく、何かに気づき、学んだことの結晶として作品を捉え直す視点が、当然のように示されている。
実際の歴史を紐解けば、障害者の表現の傍らに、必ずしも美術の学びがなかったわけではない。その代表的な例として、京都の障害者支援施設「みずのき」では、1964年の施設開設当初から日本画家の西垣籌一が絵画教室を開き、画材の工夫や対話を通じた表現の探求が数十年にわたり継続されてきた。西垣はのちに大阪の「アトリエひこ」の創設にも携わっている。本展に同施設で活動を行ってきた大江正彦や松本国三が出品している事実は、これまでの言説において不可視化されがちであった学びの系譜を改めて手繰り寄せているとも捉えられるだろう。
あるいは視点を変えれば、障害者を学びから遠ざける文脈の危うさにも注意を払わねばならない。かつて日本には、重度の障害を理由に教育の義務から外され、公的な教育の場から遠ざけられてきた時代があった。多くの障害者が教育の機会を制度的に保障されてこなかったという歴史を思えば、彼らを表現の学びという文化的な連なりの中に再接続させようとする本展の視点は意義深い。

フェアなキュレーションと、アートマーケットへの展開

Exploring III展は、一見すると極めて抑制的な佇まいを見せているが、その背景には、障害者の美術にまとわりついてきた神話に対する、したたかな解体意識が潜んでいるように感じられる。こうした脱神話的ともいえるアプローチにおいて、作品はどのように鑑賞されるのか。会場を歩いて強く感じるのは、福祉施設等で制作する作り手と現代美術家が、属性というノイズを排した状態で、作品同士として純粋に呼応し合っている姿である。
とりわけ、齊藤彩と大江正彦のペアリングは圧巻であった。両者の作品が放つ、うねるようなエネルギーは、同じ空間に置かれることの必然性を雄弁に物語る。それらは互いの属性を補完し合うための並置ではなく、独立した表現として共鳴していた。こうした「作品の自律」を感じさせる展示が成立しているのは、キュレーションによって「障害」という物語が注意深く後退させられ、作品がフェアに扱われているからに他ならない。
ここで少し場外乱闘気味に議論を展開させるならば、こうした展示上のフェアネスが、障害者の美術作品の売買という場においても浸透していくことを願わずにいられない。というのも、本展の共同主催者であるcapaciousは、もともと障害者の表現を現代美術のアートマーケットに接続させることを活動の核に据えた団体だからだ。同団体は国内のアートフェアへのブース出展を継続的に行い、福祉現場と現代美術のマーケットを結びつける回路を切り拓こうとしている。
近年、CSR 活動や行政主導の公共事業を通じ、公共空間で障害のある作家の作品のプリントや複製画を目にする機会は明らかに増えた。作品を転写したファッションアイテムや雑貨も街にあふれている。しかし、そうした表層的な消費が広がる一方で、実物の作品が現代美術と同じ土俵で売買される機会は、いまだ極めて限定的だ。アートフェア等でも障害のある作家の作品を見かける機会は少なく、そこには依然として属性による実質的な分断、すなわち「アンフェア」な状況が続いているといえる。
美術市場への接続を試みる団体が、かくもフェアネスを感じさせる本展を企画しているという事実は頼もしい。美術市場におけるアンフェアな構造や、作家の不当な搾取を防ぎ、適切に市場での評価を築こうとする誠実な姿勢を、その先に期待させるものだ。
Exploring Ⅲ展は、強いメッセージを声高に叫ぶ展覧会ではないように感じられた。しかし、随所に散りばめられた抑制的なアプローチは、表現者を属性のレッテルから解放し、一人の作家として鑑賞者に届けることに成功していた。この展示に見られたフェアネスが、経済活動としての作品売買という地平においても地続きに貫かれていくことを、期待したい。

  • 本書では大阪府の方針に基づき「障がい」と表記しているが、本稿では、「障害はその当事者ではなく社会環境に帰属する」という社会モデルの考え方に基づく筆者の意向を尊重し、原表記を使用している。