対話型鑑賞プログラムレポート
上條桂子 編集者
「みんなでおしゃべり 対話型鑑賞プログラム」が開催された。ファシリテーターは、特定非営利活動法人 芸術資源開発機構 ARDAより三ツ⽊紀英、桑原和美の2人。参加者は7歳から70代まで幅広い年齢の鑑賞者が参加した。一つのグループ8名程で2つのグループに分かれ鑑賞会は行われた。
展覧会場に入る前に、主催者より本展の趣旨説明が行われ、各グループでお互いの自己紹介を行った。本展の出展作品がハガキ大に印刷されたカードが並べられており、参加者は第一印象で気になった作品のカードを持つ。それぞれ簡単な自己紹介とともに、何故その作品が気になったのか共有した。筆者が参加したグループは、参加者6名(うち小学生1名)で、いずれも、障がいのある人の作品や表現に興味があり、「障がいの有無に関係なく作家の作品が展示されている」ことについて好印象を抱いて参加したという。
ここでは、章ごとに交わされた印象的な言葉を中心に記録する。鑑賞時間の制約から、すべての作品を取り上げられなかったことを予めご了承いただきたい。
<いとしきもの>
器や枕といった日常の生活の中にある普遍的な題材をモチーフにする小林孝亘の油彩画《Pillow》では、「キレイなシーツとまくらが生活のレベルの高さが感じられ、幸せな朝を想像できる」「朝の透明感のある光が窓から差し込んでいて、二度寝したくなる風景」「ふわっとしていて触りたくなる」「背景となる壁の暗い色も心地よい暗さで、明るい部分とコントラストが引き立っている」「現実と夢の世界の境界となる扉なので枕を描きたかったのではないか」「白一色で描くのは難しい」という言葉が交わされた。
曽祇一晃の作品は、小学生の男の子が第一印象で選んだ作品だ。作品の巧緻性について「モチーフも面白いけど技術もすごい」というコメントが出た他「トゲトゲしていて一見怖い印象だが、よく見るとユーモラスに見えて優しさを感じる」という意見も。ファシリテーターが、作家が日常的に農作業をしながら虫を手に乗せて観察しているという背景に触れると、「ユーモラスに見えるのはモチーフへの愛着かもしれない」というコメントが出た。
舛次崇の作品では、彼のパステルを塗りこめた画面に対し「黒だけど一色じゃなくて奥行きを感じる。吸い込まれそう」という感想。モチーフに関しては、「部屋の中の光景」を思い浮かべた人もいれば、勢いのある鋭い筆致に「ナイフと殺人現場」をイメージした人もいた。
<文字をこえて>
平野喜靖の画面が色とりどりの文字で埋め尽くされた作品では、「近くで見ると文字に見えるが、少し離れて見るとハギレが重なっているように見える」や「町が見えてくる」、「編み物のように見える」といった意見が出た。
<ルーティーン>
柴田龍平の作品《かき消されたタイトル》はハガキサイズで見ていたものと長辺1500mm弱ある実物で一番ギャップがあったようだ。「うわー」「すごい!」という歓声とともに鑑賞者は作品に近づき、そこに書かれた文字列について「誕生日かな?」「数字に関心があるんだ」と想像を広げる。背景の色から「森の中のキレイな湖のようで吸い込まれるような、清々しい感じがする」という意見が出たかと思えば、上から乗せられたレジンの痕跡を見て「地獄」を想像し「ダンテの神曲に出てくるミノス」を思い浮かべたという正反対の意見が出てきたのが興味深かった。
森本絵利の「contour map」(等高線)シリーズの作品では、画面に規則的に打たれたドットの一つ一つを見て感嘆し「ちょっとした苦行だ」という言葉を漏らす方も。しかし、「自分にとって苦行に思えるような作業も、作家にとっては心地のいいことなのかもしれない」という意見も出た。
予定していた時間を大幅に延長し、鑑賞会は終了。最後に振り返りの意見を交わしあったが、複数の違う考えを持った人々と一緒に作品を見ながら対話をすることについては全員が面白かったという言葉を残した。印象的だったコメントは「普段は同じくらいの年齢の方と一緒に見ることが多いが、幅広い年齢の人たちと一緒に作品を見て話をしたのが面白かった」「数字や紐、釘、折り紙といった日常にある素材がアートに昇華しているのがすごいと思った」「作家に作品を作るという意図がなくとも、その人の生活の営みがそのまま作品になっている。障がいのある人の作品に惹かれるのはそういう点だと思った」という意見だ。
本展の作品に作家本人の毎日の営みが反映されるように、対話型鑑賞では参加者個々人の生活や興味関心が目の前の作品によって喚起されたり、増長したりしていたのではないか。また、鑑賞会が終わった後も展示室に残り、作品鑑賞を続けている参加者も多く見られた。