Art to Live 国際シンポジウムレポート
平田剛志 美術批評
障がいのある人の芸術について語るのは難しい。その理由は、アート作品やアーティストのことだけでなく、障がいや福祉、社会制度、倫理観などさまざまな領域や課題と結びついているからだろう。
それゆえ障がいのある人の芸術活動をテーマとしたシンポジウムでは、「アーティスト」や「アート作品」が背景になってしまう場合が往々にしてある。
だが、「Art to Live 国際シンポジウム」では、こうした懸念は杞憂に終わった。とくに第1部のカリフォルニア州オークランドにある障がい者のためのアート・センター、クリエイティブ・グロウス・アート・センター(以下クリエイティブ・グロウスと略)名誉ディレクターのトム・ディ・マリア氏によるプレゼンテーション「クリエイティブ・グロウスの50年の軌跡:自動車整備工場からサンフランシスコ近代美術館まで」は、「Art」の言葉が本来もつエンパワメントや人と地域のつながり、アート・センターの可能性を具体的に気づかせてくれる機会となった。
以下では、第1部のトム氏の講演から印象に残ったキーワードについて取り上げる。続いて、日本で障がいのある人の芸術活動に関わる美術関係者による第2部のセッションから、日本の課題について検討したい。
第1部で印象的だったのは、クリエイティブ・グロウスが「障がいのある人の作品を、現代美術として評価していく」活動を積み重ねてきたことだ。「Art to Live」という言葉が観念的、概念的ではなく生きている場所だった。
クリエイティブ・グロウスは、1974年にアーティストのフローレンス・ルディンス・カッツと心理学者のエリアス・カッツ夫妻がバークレーにある自宅のガレージを障がい者のアート活動のために開放したことに始まる。1980年代に現在の活動拠点であるカリフォルニア州オークランドにある元自動車整備工場跡地に移転し、2階建てのスタジオ兼ギャラリーとして運営されている。
スタジオでは、ダウン症のアーティスト、ジュディス・スコットやダン・ミラー、マイケル・ジャクソンやポップカルチャーを引用した絵画を描くウィリアム・スコットを輩出するなど、年間140名のアーティストをサポートしてきた。
2023年にはサンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)とパートナーシップを結び、クリエイティブ・グロウスのアーティストが制作した100点以上の作品の購入、2つの展覧会の開催、3年間にわたるイベントの開催などが実施される。
クリエイティブ・グロウスの革新的な点は、「person first」という理念にある。アーティストの「声」を聞き取るためには、スタッフがアーティストでなければならないという理念に基づき、スタッフは福祉の専門家ではなく、アートスクール出身またはアーティストが担当するのだ。施設での創作や展示は、スタッフが指示をするのではなく、すべて利用者であるアーティストが自由に決めるという。クリエイティブ・グロウスでの「サポート」とは、利用者の日常活動のサポートではなく、アート活動のサポートを意味するのだ。
トム氏は「僕たちはアートをやっている。アートワールドの一員だ。美大生でも障がいを持っている人でも誰も変わらない」と述べたことは印象深い。職種や立場で語るのではなく、「アーティスト」仲間である連帯感と敬意を感じさせる発言だった。美術館でのパートナーシップやコレクションへとつなげた関係性は、50年間の歴史のなかで人とのつながりを積み重ねてきた「person first」の賜物だろう。
一方、第2部のセッションでは日本で障がいのある人の作品を現代美術として評価することの難しさや不足感が共有された。ギャラリストの小出由紀子氏は海外のアート関係者は新しい価値を自分たちで見出していく姿勢があるのに対し、日本ではすでに評価されている作品に関心がある保守性が指摘された。モデレーターの山本浩貴氏は「障がいのある人の作品を批評的に論じていく言葉が発展途上」とし、言論の未熟さを指摘した。滋賀県立美術館ディレクターの保坂健二朗氏はアール・ブリュットをコレクションしている美術館はあるが、展示の機会がない。また、日本の美術館の収集方針が地域と世界の美術に焦点があるため、アール・ブリュットをコレクションする枠組みがなく、専門の担当者もいないという指摘がなされた。
これらの発言から伺えるのは、日本の美術界、文化行政では専門的、伝統的な制度や分類が強固に存在しているため、「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」の居場所がないことだった。それは日本社会における障がいのある人の存在と同じく、見えない壁を感じさせる。
こうした現状に対して、小出氏はトム氏のように障がいのある作品を語れる代弁者、伴走者となる人材の必要性が伝えられた。一方、東京都渋谷公園通りギャラリー学芸員の大内郁氏は、社会学など他分野でアール・ブリュットへの関心が高まっている状況があり、他領域との連携によって、今後の人材育成に期待を寄せた。
以上のように、批評も予算も人材もマーケットもないという日本の現代美術の状況と同様な悲観的な言葉が並んだ。では、今後の日本ではどんな取り組みができるだろうか。
さまざまな解答があるが、アート作品やアーティストの評価とは、制度や分類ではなく、個々の具体的な作品を見ることからしか始まらない。サンフランシスコ近代美術館が常設展でクリエイティブ・グロウスの作品を展示したように、展覧会を通じて「生」の作品を見ることに勝る経験はない。シンポジウムの冒頭で小出氏は「アートワールドやアートヒストリーは時代や社会状況によって変わっていく。展覧会というツールを使って、障がいのある人の作品が違う見え方をしていければいい」と述べたように、展覧会は新しい見え方、見せ方をできるツールである。保坂氏や大内氏からは、展示でアーティストの制作風景を記録した映像を併置する試みが挙げられたが、人柄や「ストーリー」を伝える取り組みとして有効だろう。
写真や動画が主流のSNS時代において、求められているのは「ナラティブ」かもしれない。障害のある人たちの作品には多くの人々が共有、共感しやすい人物像やストーリー、技法や偏愛などがある。その「ストーリー」を共有し、伝えることで、新たなつながりや評価を得ていくのではないだろうか。
今後の日本で、障がいのある人の作品の見方を変えるようなアートヒストリーや展覧会をいかに提示できるのか。「person first」の精神にならい、障がいのある人たちの声や作品にいま一度目を向けてみると、まだ語られていない新しい見方や歴史(ストーリー)が埋もれているように思う。その語りは難しさより、楽しいものに違いない。